ラテンアメリカの先住民の視点から映画を撮り続けてきたボリビア人のホルヘ・サンヒネス監督(88)の全14作品が26日から、都内で公開される。映画づくりや日本での上映を支えてきたのは、半世紀前に監督と偶然出会い、魅せられた民族問題研究家の太田昌国さん(81)=西東京市在住=だ。
サンヒネス監督は白人だがテーマにしてきたのは、抑圧されてきた先住民。初の長編映画「ウカマウ」(1966年)は、妻を殺されたボリビアの先住民が復讐(ふくしゅう)をするという物語で、世界に衝撃を与えた。
亡命先でも映画作り
その後にボリビアで起きた軍事クーデターを機に、命の危険を感じ亡命。チリ、ペルー、エクアドルなどを転々としながら、映画を作ってきた。
サンヒネス監督と太田さんとの出会いは1975年。太田さんがエクアドルを旅している時、先住民の顔が前面に出ている映画のポスターを見て驚いた。白人が力を持っていた当時、先住民の顔写真が大々的に出ているものはありえなかったためだ。その映画こそ、サンヒネス監督の「コンドルの血」(69年)だった。
興味をそそられ、すぐにキトの大学で映画を見た。アンデスに派遣された米国の医療部隊が、先住民に強制的に不妊手術をし、食糧危機を防ぐという内容だった。
南米の先住民言語、ケチュア語が飛び交い、カメラワークも新鮮だった。「こんなものは見たことがない」と衝撃を受けた。
チラシをもらおうと大学の事務室に寄ったところ、監督がキトにいると教えてもらった。自分の滞在していた宿を伝えておくと、その翌日、監督が会いに来てくれた。第一印象は「鋭く、ぶれない」。すごい映画監督だと思い、付き合いが始まった。
日本での初上映は1980年 大反響
日本でも上映したいと思ったが当時、ミニシアターはあまりなく、南米の映画を上映できる映画館を見つけるのは難しかった。自主上映するしかないと、字幕やチラシなど手作りで仕上げた。
都内で初上映したのは80年。6回の上映で2千人が訪れ、大反響だった。収益は次の制作資金として監督に送った。
89年には、監督と映画「地下の民」を共同制作した。ある先住民の青年が、拉致や暗殺をした過去を振り返るロードムービー的な作品だ。スペイン・サンセバスチャンの国際映画祭で、グランプリをとった。
今年はボリビア独立から200年。太田さんはこの節目に、監督の全ての作品を一気に上映することにした。「女性ゲリラ、フアナの闘い―ボリビア独立秘史―」と、「30年後―ふたりのボリビア兵―」の2作品は、日本で初上映になる。東京・新宿「K’s cinema」を皮切りに、全国で巡回して開催される。詳しくは、HP(https://www.jca.apc.org/gendai/ukamau/)で。東京は5月23日まで。5月10日から23日までは名古屋市、30日から6月1日まで長野県松本市、6月21日から26日までは札幌市でも上映予定だ(一部セレクト上映)。
監督との出会いから今まで 描いた本を出版
太田さんが、監督との出会いから今までを書いた本「ボリビア・ウカマウ映画伴走50年」も4月26日に出版される。